モバイルバッテリー/ポータブル電源・構造リスク分析(中編)
深圳モデルの終焉
――ODM生態系・3C強化・AIゴールドラッシュが引き起こすポータブル電源市場の構造崩壊
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2024〜2025年にかけて、中国発のモバイルバッテリー市場を揺るがす大規模リコールが相次ぎました。 Anker、ROMOSS、Baseus といった世界的ブランドが自主回収に踏み切り、その規模は 合計200万台超 とも推計されています。
表向きの説明は「一部ロットの品質不良」「安全性への懸念」ですが、その裏側には 中国の電池産業の過剰生産、価格下落、そしてサプライチェーンの構造的脆弱性 が複雑に絡み合っています。前編では、Apex 製「126280」セルを軸にした 大規模リコールの構造 を整理しました。
中編となる本稿では、その源流にある 「深圳 ODM モデル」そのものの崩壊に焦点を当てます。 これは単なる一工場の不祥事でも、一過性の事故でもありません。 ポータブル電源/モバイルバッテリー市場の“基礎構造”が崩れつつある現象 です。
日本人の多くは、この深圳 ODM 生態系を十分に理解していません。しかし、この構造を理解しなければ、 後編で扱う 法務・財務リスク(PL法・在庫評価損・リコール引当金など) の本質も決して見えてきません。
1. 日本人が最も誤解している「深圳のODM生態系」の正体
日本市場では、家電やガジェットを 「ブランドで選ぶ」文化 が根強くあります。
- A社だから安心
- B社は最近品質が良くない
- C社はデザインが良い
しかし、中国・深圳発のポータブル電源/モバイルバッテリーの実態は、 こうした「ブランド起点」の認識とはまったく異なります。むしろ構造は逆で、 次のような前提に立っています。
- ブランドは製造していません
- 設計権限はブランドにはありません
- 品質を握っているのは ODM です
- ODM は基本的に責任を取りません
この「責任とコントロールが逆転した構造」を理解していないと、 中国モバイルバッテリーのリコールや、「中国 モバイルバッテリー リコール」という検索キーワードの裏側で 何が起きているのかを正しく把握することはできません。
2. 深圳生態系の階層構造――セル → パック → ODM → ブランド → 流通
いわゆる「深圳モデル」は、ざっくりと次のような階層構造で成り立っています。
-
① セルメーカー
CATL、BAK、EVE のような大手から、地方中堅、江蘇・無錫の特殊セル工場まで、 規模・技術レベルともに多層構造を形成。 -
② パックメーカー(BMS+モジュール)
セルを組み合わせ、並列・直列構成、BMS設計、スポット溶接と封止、最低限の安全試験を行う階層。 -
③ ODM(製品化の中核)
筐体設計、インバータ設計、LCD/UI、部材調達、ファームウェア開発などを一手に担う。 仕様は ODM が決め、ブランドはそれに「ロゴを貼るだけ」という構造が一般的です。 -
④ ブランド
日本向け/欧米向けに商品名とブランド名を付ける役割が中心。設計権限はほぼ持たず、 品質保証の実態も薄い一方で、PL責任は100%負うというアンバランスな立場です。 -
⑤ 流通(商社/量販/越境EC)
国内商社、家電量販店、そして越境ECプラットフォームが最終的な販売チャネルになります。
この結果として、 「A社モデル」と「B社モデル」の中身が、実はまったく同じ ということが普通に起こります。
アパレルで「同じ工場で縫った服に違うブランドタグを付ける」のと構造は似ていますが、 決定的に違うのは、可燃性のリチウムイオン電池を内蔵し、事故が人命に直結する という点です。 「同じ工場・同じ中身・違うロゴ」という深圳 ODM モデルは、 モバイルバッテリー/ポータブル電源市場において本質的なリスク要因になっています。
3. ODMモデルの架空実例――現場で“商品が作られている”プロセス
法的な配慮のため、実在企業を特定できないように要素を再構成した 「架空の典型例」で、深圳 ODM モデルの現実をイメージしてみます。
【架空例:Shenzhen ZH-Tech ODM(仮名)】
- 顧客:日本の新興ブランド「J-Power(仮名)」
- 発注ロット:1万台
ODM側の提示仕様(カタログスペック)
- セル:3.6V 21700 × 60本
- BMS:20A リミット・過温度保護 75℃
- インバータ:1500W
- 充電:AC100V 900W
- 外装:同社既存モデルの色替え
ブランド側(J-Power 仮名)は、仕様書とサンプルを見て「スペックも価格も悪くない」と判断し、そのまま発注します。 しかし、実際の量産現場では次のようなことが起こりがちです。
- セルは価格の安い「ロット余り品」やグレード違いセルが混用される
- BMS のファームウェアは他ブランド向けの焼き直しで、保護条件が仕様書と微妙に違う
- 排熱設計は「前モデルの流用」で、内部温度マージンが不十分
- 認証試験は ODM から送られてくる「証明書 PDF」のスキャン画像だけ
- 製造ロットと追跡番号は十分に管理されず、トレーサビリティが確保されない
- 契約上、ODM は中国法準拠で PL責任を負わない条項が盛り込まれている
こうして生まれた製品は、 「J-Power ブランドの自社製品」として日本国内で販売 されます。ところが事故が起きた場合、PL法上の責任を負うのは ODM ではなく、 日本側のブランド・輸入事業者です。
これが、深圳 ODM モデルに依存したポータブル電源ビジネスの現実であり、 後編で扱う「だれが最終的に法的責任を負うのか」という問題に直結しています。
4. 3C制度とは何か――英文規定・条文から見る「中国の国家防衛線」
2023〜2025年にかけて、中国政府はリチウム電池関連の 3C認証(CCC)を大幅に強化しました。 中国国内のデフレ圧力と逆行する「コスト増方向の政策」に見えますが、 条文を丁寧に読むとその意図が見えてきます。
【3C制度の英文定義(要旨)】
China Compulsory Certification (CCC)
“A mandatory safety and quality mark for products imported, sold or used in the Chinese market,
intended to ensure public safety, national security, and consumer protection.”
※訳:
「中国市場に輸入・販売・使用される製品に対して義務づけられる安全および品質に関する強制制度であり、
公共の安全、国家の安全、消費者保護を確保することを目的とする。」
【関連条文の抄訳(要旨)】
-
第4条:
「3C認証対象製品は、認証を取得しなければ中国国内での出荷・販売・輸入・事業使用を行ってはならない。」 -
第8条:
「認証を取得した製品であっても、安全リスクが確認された場合には、認証の停止・取消処分を行う。」
つまり 3C は、 「取得していれば安全」ではなく、「危険が判明すれば取り消す」仕組み です。このロジックは、Apex 製 126280 セルの認証停止・取消にも直結しています。
ではなぜ、このタイミングで強化されたのでしょうか。その理由は極めてシンプルです。
■ 自国製品の「国際信用失墜」を本気で恐れている
- リチウム電池起因の航空機火災
- 中国発モバイルバッテリーによる火災報道の増加
- 海外メディアによる一斉報道と「中国製=危険」というイメージ
- 民用航空局・監督官庁の国際的信用の低下懸念
こうした連鎖を断ち切るために、 「規制強化こそが国家イメージ防衛の最終手段」 と判断した、と読むのが妥当です。
5. 3C強化は深圳ODM生態系に“壊滅的打撃”を与えた
3C認証は、形式上はすべての事業者に開かれた制度ですが、 実務レベルでは「大手・本格工場しか通れない関門」になっています。
- 工場監査(品質システム・設備・トレーサビリティ)
- 設計書・安全試験レポートの提出
- 量産時の品質記録・工程管理
- 認証取得後の継続的サーベイランス(定期監査)
- 市場抜き取り検査への対応
- 事故発生時の即時報告義務と是正措置
深圳 ODM の多くは、こうした品質インフラや文書管理の文化を持っていません。 そのため、実態としては次のような事態になっています。
- 零細〜中堅 ODM の 50〜70%は 3C の本格対応が困難
- セル/パック/ODM のサプライチェーンが分断される
- 世界中のブランドが「いつもの仕入れ先」を失う
- 「同じ中身、違うロゴ」モデルそのものが成立しにくくなる
深圳生態系は、「大量に作り、世界にばらまく」ことで成立してきました。 そこに「品質証跡の義務」と「認証取消リスク」という新ルールが入り、 モデルそのものが折れ始めた のです。
6. デフレ中国で加速する「粗悪ロット輸出」――越境ECは在庫処分場になった
一方、中国経済は深刻なデフレ局面に入り、製造業は在庫と設備過剰に苦しんでいます。
- 国内需要の急減と価格競争の激化
- 工場閉鎖・統廃合の連鎖
- 生産能力の過剰と設備の遊休化
- 倉庫に積み上がるセル・モジュール在庫
この環境で工場が取りがちな行動は、極めてシンプルです。
- 3C 試験で落ちたロットを海外向けに叩き売る
- 国内でさばけない在庫ロットを越境ECに流す
- もともと別用途向けだったセルを、ポータブル電源向けに転用する
- 価格弾力性の高い日本市場をターゲットに、「それなりのスペック+日本語UI」で売る
こうして、3C落ちロットや「訳あり在庫」が、日本語対応の越境ECで正規品のように販売される という異常な状況が生まれています。表面上は「PSEマーク」「3Cマーク」の画像が商品ページに並んでいても、 実際にはロット単位では認証条件を満たしていないというケースも否定できません。
7. AIデータセンターへの“金鉱シフト”――優良セルはAI/UPSに吸い取られ、ポタ電には粗悪品が残る
ここに、もうひとつ決定的な構造変化が重なります。 中国のバッテリー企業は今、 AIデータセンター向け UPS/BESS(蓄電システム)という“金鉱市場” に殺到しています。
AI インフラ向けバッテリー市場が魅力的である理由は明白です。
- ポータブル電源やモバイルバッテリーより 単価が10〜100倍
- クラウド大手との 長期契約 が見込める
- 安定した大口需要があり、ラインを長期間フル稼働できる
- 高い信頼性要件がある一方で、適切な価格がつく
- 過剰投資されたEVバッテリー設備を 産業用に転用できる
この流れは、深圳 ODM 生態系にとっては「救済」であると同時に、 ポータブル電源市場にとっては致命的な資源シフトを意味します。
結果として、セルはこう振り分けられます:
- 優良セル → AI/UPS・BESS市場へ
- ポータブル電源向け → 低グレード品/在庫ロット/3C落ち品が中心
つまり、ポータブル電源市場は “残滓市場(Residual Market)” として位置づけられつつあります。
深圳は「安物ガジェットを量産する工場」から、 「AIインフラ向けバッテリーを供給する戦略産業クラスター」 へと進化しました。その代償として、 モバイルバッテリー/ポータブル電源市場は、優先順位の低い“切り捨て対象”に回されつつあるのです。
8. 結論──深圳モデルは不可逆的に崩壊した
ここまで見てきた流れを整理すると、中国モバイルバッテリー/ポータブル電源市場を支えてきた 「深圳 ODM モデル」は、次のような理由で構造的に行き詰まっています。
- ODMモデルは、設計・品質を握る主体と、PL責任を負う主体が分離した構造欠陥を持つ
- 3C認証強化により、零細〜中堅 ODM が瓦解し始めた
- 中国デフレで在庫ロットが海外流出し、越境ECが事実上の在庫処分場になっている
- 各国の越境EC規制・リチウム電池規制の強化で、「粗悪ロットの出口」が塞がれつつある
- AI/UPS 向けバッテリー市場が優良セルを吸収し、ポータブル電源は残り物市場になっている
- ブランドは仕入れ先を失い、日本の商社やディストリビューターは在庫リスクとリコールリスクに耐え切れず撤退を選び始めている
これは単なる景気循環や一時的なトレンドではなく、 「市場の構造そのものが壊れ始めた」 ことを示す典型例です。
後編となる次稿では、この崩壊しつつある市場の中で最終的に
- 誰が法的責任(PL法上の責任)を負わされるのか
- なぜ大手商社がポータブル電源事業から相次いで撤退せざるを得なかったのか
- 在庫評価損やリコール引当金が、どのように企業のバランスシートを侵食するのか
を、経営・法務・財務の観点から整理していきます。ポータブル電源の調達や PB 品企画に関わる方にとって、 「中国 モバイルバッテリー リコール」「深圳 ODM」といったキーワードを 自社のリスク言語に翻訳するための材料になるはずです。