要点
事業継続投資を、設備の利用回数だけで評価してはいけません。 その価値は、障害を防ぐこと、影響を局所化すること、復旧を早めること、 事業を続ける選択肢を残すことによって生まれます。
会計上の盲点
レジリエンスの支出は記録されますが、回避された損失は通常、独立した利益として計上されません。
停止による損失を単価へ変換し、対策の優先順位と期待損失を比較できる状態を作ります。
柳モデルから得られる示唆
現在の支出と、時間差を伴って現れる非財務価値の関係を、データ、仮説、開示、対話によって検討します。
資本配分の対象
回避損失だけでなく、契約履行、信用、処理能力、公共価値、復旧能力、将来の選択肢を含めます。
Accounting Blind Spot / Avoided Loss / Prevention
1. 「何も起きなかった」は、経済的な成果になり得る
火災が起きなかったからといって、火災保険や防火設備が無駄だったとは限りません。 その価値は、事故の発生回数だけでなく、移転または回避できた損失と、 守られた支払能力、事業継続能力によって評価されます。
事業継続投資も同じです。しかし社内の議論では、しばしば次のような短絡が起きます。
事故がない → 効果が見えない → 過剰な防御に見える → 削減対象になる
問題は、設備の価値を使用回数だけで測っていることです。 レジリエンス資産は、単独で売上を生むために導入されるとは限りません。 売上を生む業務、生産契約、コールドチェーン、認証処理、通信、顧客への約束、 安全に縮退運転へ移行するための時間を守るために導入されます。
予防
障害そのもの、または障害が重大事故へ発展することを防ぎます。
局所化
一つの設備や拠点の停止を、組織全体の停止へ波及させないようにします。
復旧
代替手段と復旧順序を確保し、通常処理能力へ戻るまでの時間を短縮します。
Yanagi Model / Non-Financial Value / Delayed Value
2. 柳モデルは、何を経営判断へ取り込もうとしたのか
柳モデルは、エーザイ元CFOの柳良平氏が提唱した、 非財務指標と企業価値の関係を検討するための枠組みです。 財務業績を考慮しながら、ESG関連KPIなどの変化が、 時間差を伴うPBRなどの変化とどのように関係しているかを分析します。
本稿で重要なのは、特定の回帰係数や評価倍率を事業継続投資へ移植することではありません。 人材、研究開発、安全、ガバナンス、取引関係などへの支出は現在の費用として見える一方、 その価値は将来キャッシュフロー、リスク低減、実行力、信用として後から現れることがあります。 柳モデルは、この時間差を持つ価値を、単なる物語ではなく、仮説とデータによって説明しようとする考え方です。
仮説を立てる
どの非財務能力が、将来の財務価値や事業成果に関係すると考えるのかを明示します。
データで確かめる
時間差を含む企業データから、仮説と実際の成果の関係を検討します。
開示して対話する
仮定、限界、経営上の意味を、社内の意思決定者や投資家へ説明します。
柳モデルは会計基準ではありません。
すべての非財務KPIを貸借対照表上の資産へ変換するものでも、 すべての企業に共通する企業価値倍率を示すものでもありません。 経営が重要と考える能力と成果の関係を検討し、資本配分と対話に用いるための枠組みとして捉えるのが適切です。
Application Scope / Correlation / Company-Specific Analysis
3. 柳モデルを事業継続投資へ応用する際の注意点
柳モデルの考え方は、財務諸表に直接表れにくい価値を経営判断へ取り込むうえで参考になります。 ただし、ある企業で確認された分析結果を、別の企業や自治体へそのまま適用することはできません。
事業構造、顧客、契約条件、設備構成、停止時の損失、復旧に必要な時間は組織ごとに異なります。 事業継続投資を評価する場合も、自社にとって重要な能力と事業成果の関係を個別に整理する必要があります。
評価指標は組織ごとに異なる
製造業では生産停止、物流では出荷継続、医療では診療機能、 自治体では住民サービスなど、守るべき価値は異なります。
相関は因果関係を意味しない
特定の指標と企業価値に関係が見られても、 その指標だけが企業価値を変化させたと直ちに結論づけることはできません。
継続的なデータが必要になる
障害頻度、停止時間、復旧費用、失注、品質影響、顧客対応、 訓練結果などを記録しなければ、投資効果を検証できません。
単一の評価式では完結しない
金額換算できる停止損失だけでなく、契約履行、安全、信用、公共性、 将来の選択肢を含めて総合的に判断する必要があります。
柳モデルは答えを与える評価式ではなく、 自社にとって重要な非財務価値と事業成果の関係を検討するための考え方です。
Resilience Value / Avoided Loss / Recovery Capability
4. 事業継続投資が守る四つの価値
非常用電源、予備回線、代替拠点、遠隔監視、分散設備は、 平常時に直接的な売上を生むとは限りません。 それでも、障害時に失われる価値を減らし、復旧手段を残すことで経済的な役割を果たします。
損失を回避・縮小する価値
売上停止、粗利益の喪失、廃棄、手直し、違約金、緊急調達、 復旧費用、顧客対応など、障害時に発生する損失を抑えます。
復旧能力を残す価値
業務を再開する手段、代替拠点、通信経路、電源、要員、 復旧手順を確保し、通常処理能力へ戻る時間を短縮します。
将来の選択肢を守る価値
一つの設備や拠点が失われても、縮退運転、別拠点への移行、 手作業への切替など、別の方法で事業を続けられる柔軟性を維持します。
信用と関係を維持する価値
顧客、取引先、金融機関、従業員、地域社会に対し、 危機時にも約束と責任を果たせる組織であることを示します。
VoLL / Expected Loss / Capital Allocation
5. VoLLで損失を測り、資本配分では残す能力を決める
事業継続投資を検討する第一歩は、停止した場合の損失を把握することです。 VoLL(Value of Lost Load)は、停電などによって供給されなかった電力量と停止損失を結びつけ、 損失を単位当たりの価値へ変換します。
この数量化によって、電源品質対策、UPS、冗長化、運用改善などを、 停止コストと期待損失の観点から比較できます。 VoLLの考え方と具体的な計算方法は、 「何も起こらない価値を可視化する」──VoLLという考え方 で整理しています。
| 評価領域 | 主に確認すること | 判断への使い方 |
|---|---|---|
| VoLL・停止損失 | 一回の停止で生じる損失、未供給電力量、停止時間 | 対策の優先順位、期待損失、ROIを比較する |
| 復旧能力 | 代替手段、復旧順序、要員、通信、電源、処理能力 | 停止後に実用可能な業務能力を戻せるか判断する |
| 信用・契約履行 | 顧客への約束、納期、品質、安全、説明責任 | 短期損失だけでは見えない関係価値を評価する |
| オプション価値 | 縮退運転、別拠点移行、代替回線、可搬設備 | 将来の不確実性に対して残る選択肢を評価する |
VoLLは、停止した場合に失う価値を測る共通言語です。 資本配分では、その損失を減らすために、どの能力をどの水準まで残すかを決めます。
Capital Allocation / Protected Cash Flow / Option Value
6. CFOが使えるレジリエンス投資の評価フレーム
有効な投資案件は、設備の取得費用と、その設備が守る機能の価値を分けて示します。 一つの極端な損害想定だけに依存せず、複数の運用シナリオを示し、 経営が検証できる仮定を明確にする必要があります。
Critical Function
何を継続しなければならないか
停止できないサービス、生産工程、通信経路、認証、監視、安全機能を定義します。
Tolerance
どの程度の停止まで許容できるか
最大許容停止時間、復旧時間、滞留量、処理能力の回復目標を定義します。
Financial Exposure
どの価値が危険にさらされるか
粗利益、廃棄、手直し、違約金、緊急物流、残業、顧客対応、資金回収の遅延を見積もります。
Propagation
障害はどこへ広がるか
共有システム、供給者、委託物流、通信、電力、業務統制の単一点障害を可視化します。
Recovery Capability
何が実用可能な処理能力を戻すか
認証、データ整合、ローカル通信、電源、人員、作業指示、段階的再起動へ資本を配分します。
Evidence
機能することをどう確認するか
実負荷試験、復旧訓練、実測運転時間、障害記録、依存関係レビュー、試験後の是正で確認します。
意思決定のための考え方
レジリエンス投資の価値は、回避できる期待損失、削減できる復旧費用、 保護される契約価値と信用、維持される選択肢から、 導入、保守、更新、訓練、廃棄を含むライフサイクルコストを差し引いて検討します。
これは会計基準上の資産評価額ではなく、資本配分の選択肢を比較するための意思決定フレームです。
Municipal Finance / Public Value / Accountability
7. 自治体では、キャッシュフローを「保護される公共価値」へ読み替える
自治体には、企業と同じ意味での売上、利益、企業価値がありません。 しかし、限られた予算をどの機能へ配分するかという問題は同じです。 自治体では、停止によって失われる公共価値を明示します。
住民の権利
証明書、福祉、医療、防災、相談、給付などを必要な時間内に利用できる状態です。
行政処理能力
受付、連絡、被害把握、指揮、代替拠点への移行、滞留業務の解消能力です。
復旧時間
必要な時間内に最低限のサービスを戻し、通常処理能力へ段階的に復帰できることです。
代替可能性
本庁舎、主回線、商用電源が停止しても、支所、移動拠点、別回線へ切り替えられることです。
監査・説明責任
把握したリスクに対し、守る機能、採用する対策、受容するリスクを合理的に説明できることです。
信頼と秩序
災害時にも情報を返し、住民へ一貫した案内を行い、支援と避難を調整できることです。
自治体の事業継続投資は、利益を増やす設備ではなく、 住民の権利、行政の処理能力、復旧の選択肢を失わないための公共価値保護投資です。
System Recovery / Business Recovery / Operational Capacity
8. システムが起動しても、事業が復旧したとは限らない
サーバー、ネットワーク、電源が復旧しても、認証、データ整合、在庫照合、 滞留した処理、人員、作業指示、輸送計画が戻っていなければ、事業は通常どおりには動きません。
したがって、投資評価で確認すべきなのは機器の稼働時間だけではありません。 障害発生から、最低限の業務、限定業務、通常の処理能力へ戻るまでの経路と時間です。
| 段階 | 確認する状態 | 評価指標の例 |
|---|---|---|
| 技術復旧 | 電源、回線、サーバー、端末が起動している | 復旧時間、稼働率、通信状態 |
| 業務再開 | 認証、データ、作業指示が利用でき、限定業務を開始できる | 再開可能な業務、受付件数、処理能力 |
| 事業復旧 | 滞留を解消し、通常の品質と処理量へ戻っている | 処理能力、納期、滞留件数、顧客影響 |
設備のバックアップ時間は、電池容量だけで決めるものではありません。 必要な業務を再開し、次の復旧手段へ引き継ぐまでの時間から決めます。
Power Continuity / Portable UPS / Operational Option
9. 可搬型電源は、電力量ではなく業務上の選択肢を提供する
可搬型UPSが財務的な意味を持つのは、保護する機器の停止が、 より広い業務停止へ波及する場合です。 優先負荷には、通信機器、PoEスイッチ、無線アクセスポイント、認証、 WMS端末、PLC、産業用PC、監視、ラベル発行、復旧作業端末などがあります。
経済的な便益は、蓄電池が供給した電力量そのものではありません。 運用統制を維持し、安全停止を完了し、発電機始動までをつなぎ、 障害復旧を支え、限定業務を継続し、固定工事を待たずに重要回路へ電源を移せることです。
電源は、単独で事業継続を完成させるものではありません。
認証、ネットワーク分離、監視、バックアップ、代替通信、ローカル運用データ、 縮退運転、検証済みの復旧順序と組み合わせることで、業務を続ける選択肢になります。
Conclusion / Explainable Resilience / Capital Discipline
10. 成熟した組織は、「なぜ何も起きなかったか」を説明できる
事業継続の次の段階は、障害発生後に対応できることだけではありません。 なぜ統制を失わなかったのか、なぜ局所障害が全体へ広がらなかったのか、 なぜ顧客へサービスを継続できたのか、なぜ復旧能力を維持できたのかを説明できることです。
柳モデルから得られる示唆は、レジリエンスに普遍的な評価倍率を与えることではありません。 現在の支出と、時間差を伴って現れる価値の関係について仮説を立て、 データで確認し、限界を含めて経営判断へ示すことです。
事業継続投資も、導入した設備の一覧ではなく、保護する機能、想定する停止、 回避する損失、維持する復旧能力、残す選択肢、検証方法を一つの案件として説明する必要があります。
何も起きなかった結果は、財務諸表に見えないかもしれません。 しかし、その結果を生んだ組織能力まで見えなくしてはなりません。
Designing, Recognizing, Measuring and Funding Continuity
「何も起きない価値」を、四つの視点から考える
止まらない社会や事業を実現するには、技術を導入するだけでなく、 なぜ守るのか、何を価値と捉えるのか、損失をどう測るのか、 どこへ資本を配分するのかを、それぞれ整理する必要があります。
設計思想
便利が止まったら
集中、同期、常時接続へ依存する社会を問い直し、何を止めずに残すべきかを考えます。
社会的価値
何も起きない日常を「価値」にする
安定を偶然や無事故として扱わず、設計、運用、保全が生み出す社会的成果として捉えます。
損失の数量化
VoLLで停止損失を測る
停止損失を単価と年間期待損失へ変換し、BCP対策の優先順位とROIを比較します。
資本配分
事業継続投資を経営判断へ取り込む
回避損失だけでなく、復旧能力、信用、公共価値、将来の選択肢へ配分する資本を判断します。
Practical Application Areas
資本配分の対象となる、具体的な継続能力
守るべき価値と許容できる停止損失を整理した後は、 どの制度要件、設備、拠点、分散機能へ資本を配分するかを具体化します。
Sources and Further Reading
柳モデルに関する参考資料
- 野村アセットマネジメント:柳良平氏との対話 ― 柳モデルの考え方と、非財務情報と企業価値の関係について確認するための参考資料です。
- 日清食品ホールディングス Value Creation Report 2022 ― 非財務指標とPBRの関係を企業開示で扱った例です。
- ツムラ Integrated Report 2024 ― ESG活動と企業価値の関係を分析・開示した企業報告の例です。
本稿では、伝聞に基づく「世界初」などの評価や、評価者本人の一次資料で確認できない権威付けを論拠として用いていません。 柳モデルの実務的な意義と限界を、公開資料から確認できる範囲で扱っています。
FAQ
よくある質問
柳モデルはESG会計基準ですか?
いいえ。非財務指標と企業価値の関係を分析し、経営、開示、対話に用いるための枠組みです。 IFRS、ISSBその他の会計・開示基準そのものではありません。
VoLLだけで、事業継続投資を判断できますか?
VoLLは停止損失を比較する有力な尺度ですが、それだけでは十分ではありません。 復旧能力、契約履行、安全、信用、公共価値、将来の選択肢も確認する必要があります。
「何も起きなかった」だけで、投資が機能したと証明できますか?
それだけでは証明できません。実負荷試験、障害記録、復旧訓練、依存関係分析、 実測運転時間などによって、対策が意図した能力を持つことを確認します。
CFOが復旧順序を重視すべきなのはなぜですか?
サーバーや電源が起動しただけでは、キャッシュフローや処理能力は戻らないからです。 認証、データ整合、通信、人員、作業指示、滞留業務を正しい順序で復旧する必要があります。
自治体でも、この評価方法を使えますか?
使えます。売上や企業価値を、住民サービス、住民の権利、災害対応能力、 指定時間以内の復旧、監査対応、代替手段へ読み替えます。
分散設備や予備回線は、単なる重複コストではありませんか?
平時の利用率だけでは重複に見えますが、主拠点停止時に業務を別ノードへ移し、 全面停止を局所停止へ縮小する選択肢を残します。設備数ではなく、残る処理能力と移行時間で評価します。